浪人生日記00

 自殺の否定はなかなか難しい。死ぬと周囲の人間の中には悲しむ者もいるだろうが、悲しむ者が皆いなくなった後なら、自殺してはいけない理由は特に見当たらないように思われる。実際高校1、2年頃は、何かの弾みで親や兄弟が死んだ後は、誰にも悟られずにひっそり自ら死のうと思っていたこともある。いつまで経っても友達を作らなかった(作れなかった)のは単に自分がひっこみ思案だったことも原因ではあるが、親しい人ができてもいつか失われてしまうという事実に囚われ、どっちみち無駄になることだと自分に言い聞かせていた部分も大きいのかもしれない。

 人間は他人の記憶に残りたがる。そしてその人が死ねば、多くの残された人間が悲しむことになる。本当に他人のことを思うなら、初めから周りの人間に悲しみを与えないようにずっと一人でいるべきであり、もっと言うならば、死んだ時に周りの人間に喜ばれるような悪役に徹して生きるべきである。それが真の善人というものではないだろうかという思いは捨て切れていない。

 だが死の悲しみとは単純ではない。悲しみはマイナスであると同時に非常に大切な感情であるような気もする。悲しみを覚える中で人間は他人に対して優しくなれるのであり、悲しみの中にはその人が存在したことに対する喜びもまた含まれている。周囲の人間の心に留まるということは、時に彼らを悲しませるが、同時に彼らに喜びや成長の機会を与えるものでもありうる。なので終わりを必ず迎える世界で他人と深く関わるということは、自分にとっても相手にとっても非常に大切なことかもしれないと、遅ればせながら考えるようになった。